刑事事件でしばしば争点となるのが、「未必の故意」です。これは「結果が起こるかもしれない」と認識しながらも、「それでも構わない」と思って行為した場合に成立する故意の一種です。
たとえば「人がいるかもしれない」と思いながら崖から石を投げた、「酔っているけど運転しても大丈夫だろう」と思って車を走らせたケースです。これらはいずれも、結果を明確に意図していないものの、危険を認識した上で行動しています。
刑法では、「過失」と「故意」を厳密に区別することが求められます。なぜなら、両者で適用される罪名や刑罰が大きく異なるからです。たとえば「死ぬかもしれない」と思いながら殴った場合は殺人罪(未必の故意)となり、「死ぬとは思わなかった」とすれば傷害致死罪(過失)にとどまることもあります。
本記事では、未必の故意の定義から、成立要件、過失や確定的故意との違い、実際の裁判での判断基準までを体系的に解説します。
目次
未必の故意とは
刑法上の「故意」にはいくつかの段階があります。その中でもとくに議論が多いのが、「未必の故意(みひつのこい)」と呼ばれる概念です。これは「自分の行為によって結果が起こるかもしれない」と認識しながらも、あえてその行為を続けた場合に成立する故意”を指します。
たとえば「人がいるかもしれないと思いながら崖から石を投げた」といったケースがあったとしましょう。この場合、結果を積極的に望んでいなくても、「起こるかもしれない」とわかって行動したため、未必の故意による殺人罪などが成立する可能性があります。
まずは、未必の故意とは何か?について詳しく解説します。
未必の故意の定義
未必の故意とは、「自己の行為によって結果が発生するかもしれないと認識し、それでも構わないと考えて行為する状態」を指します。刑法第38条は「罪を犯す意思がない行為は罰しない」と定めていますが、未必の故意はこの「意思(故意)」に該当します。
つまり、「結果が出ても仕方ない」と心の中で容認していた場合、それは単なる過失(うっかり)ではなく、故意による犯罪と評価されるのです。
「結果の発生を認識しながらも行為した」状態
未必の故意は、「結果が起こるかもしれない」という認識と、「それでも構わない」という意思の容認にあります。たとえば、次のようなケースです。
- 車でスピードを出して人混みに突っ込めば、人が死ぬかもしれないとわかっていた
- それでも「逃げ切れるかもしれない」と思ってアクセルを踏んだ
この場合、「人が死んでも仕方がない」と認識して行為を継続しているため、未必の故意が認められる可能性があります。
逆に、「人がいないと思った」「まさか事故になるとは思わなかった」といった場合は、過失犯にとどまることもあります。したがって、未必の故意か過失かの判断は、加害者の心理状態に大きく左右されるのです。
故意の種類
刑法における「故意」は、一般的に次の3段階に分類されます。
| 種類 | 内容 | 具体例 |
|---|---|---|
| 確定的故意 | 結果を明確に意図して行った場合 | 相手を殺そうと包丁で刺した |
| 未必の故意 | 結果が起こるかも知れないと認識しつつ行った場合 | 「死ぬかも知れない」と思いながら殴打する |
| 過失(故意なし) | 結果の発生を予見できたが、軽く考えていた、もしくは不注意だった場合 | 「大丈夫だろう」と思って事故を起こす |
このように、未必の故意は「故意」と「過失」の中間的な位置にあります。行為者が結果をどの程度認識していたか、どのような心理で行動したかを慎重に見極めることが、刑事裁判では極めて重要です。
未必の故意が問題となる場面
「未必の故意」は、実際の刑事事件の中で争点となるケースが多いです。とくに、結果を明確に意図していなかったものの、危険を認識して行った場合では、故意犯罪か過失犯罪かの判断が非常に難しくなります。
次に、未必の故意が問題となる代表的な場面を詳しく解説します。
殺人未遂・傷害致死などの暴力事件
典型的な例が、暴力行為を伴う事件です。たとえば「相手を殺すつもりはなかったが、死ぬかもしれないとは思った」というケース。実際に、相手を強く殴った、首を絞めた、ナイフを振り回したといった行為では、未必の故意による殺人未遂罪が成立する可能性があります。
裁判では、「結果発生の可能性をどの程度認識していたか」「行為後の態度」などから、加害者の心理を慎重に判断します。たとえば、救護をせずに逃走した場合などは、「死んでも構わない」と容認していたとみなされ、未必の故意が認定される傾向があります。
交通事故・飲酒運転などの過失と区別が難しいケース
交通事故や飲酒運転の事件でも、未必の故意か過失かが争点になることがあります。たとえば、泥酔状態で運転を続けた結果、人をはねて死亡させた場合です。「人を殺すつもりはなかった」という供述でも、飲酒の危険性を十分に理解していた場合は、未必の故意による殺人罪が問われることがあります。
近年では、「危険運転致死傷罪」との区別が議論されるケースも多く、行為者がどの程度リスクを認識していたかが裁判で詳細に検討されます。つまり、未必の故意は「うっかりでは済まない」行為に対して適用される概念なのです。
放火・爆発・薬物事件などの危険行為型犯罪
次に多いのが、火や爆発物、薬物などの危険行為を伴う事件です。たとえば、「誰もいないと思って放火した」「薬物を渡したが死ぬとは思わなかった」といったケースです。この場合、人がいる可能性や死に至る危険を予見していたなら、未必の故意による放火殺人罪や薬物致死罪が成立することがあります。
このようなケースでは、「危険性を理解していたかどうか」「行為にどれだけ慎重さが欠けていたか」が重視されます。危険性の高い行為を選択した時点で、結果を容認したと評価されるリスクがあるのです。
未必の故意の成立要件
「未必の故意」は、単に「結果が起きるかもしれない」と思っただけでは成立しません。刑法上、故意を認めるためには、行為者がどのように結果を認識し、どのような心理で行為を行ったかが重要になります。
次に、裁判で重視される4つの成立要件について、以下のとおり解説します。
- 結果発生の認識要素
- 結果発生の容認要素
- 行為と結果の因果関係の認識
- 動機・行為態度・行為後の対応の考慮
それぞれ詳しく解説します。
1.結果発生の認識要素
まず必要となるのが、結果が発生する可能性を認識していたかどうかという点です。これは「このまま行為を続ければ、死ぬかもしれない」「けがをさせるかもしれない」といった危険の予見があったかを指します。
たとえば、強く殴れば相手が死亡するかもしれないと分かっていながら殴った場合、行為者には結果発生の認識があったと評価されます。ただし、「まさかそこまでとは思わなかった」といった曖昧な認識では、過失と判断されることもあります。
具体的には「包丁で人を刺して殺した」というケースでも、「殺そう」とする意思や「死んでしまうかもしれない」という認識が必要です。仮に、「死ぬとは思わなかった」場合は、傷害致死罪が成立し、認識があった場合は殺人罪が成立します。
2.結果発生の容認要素
次に、行為者が結果の発生を「仕方ない」「起きてもかまわない」と思っていたかどう、容認の意思があったかが重要です。この要素が、未必の故意を過失と区別するポイントです。
「もしかしたら人が死ぬかもしれないけど、それでも構わない」と思って行為した場合、未必の故意が認められます。一方、「死なないだろう」と考えていたなら、それは過失の範囲にとどまります。
裁判では、加害者の発言や行動、事件後の態度などから、この容認の心理を間接的に判断します。
3.行為と結果の因果関係の認識
3つ目の要件は、自分の行為と結果との因果関係を認識していたかです。つまり、行為者が「自分の行為が結果を引き起こす可能性がある」と理解していたかどうかを問います。
たとえば、「ガソリンを撒いて火をつければ人が死ぬかもしれない」と分かっていた場合には、因果関係を認識していたといえます。逆に、「他人の行為や偶然の要素によって結果が生じた」と主張する場合は、因果関係の認識が否定され、故意が認められないこともあります。
4.動機・行為態度・行為後の対応の考慮
最後に、行為者の動機や行為態度、行為後の対応も、未必の故意を判断する重要な手がかりになります。
たとえば、以下の要素で判断をします。
- 強い殺意を示す発言をしていた
- 被害者を放置して逃走した
- 結果を軽視するような態度を取った
逆に、行為後すぐに救護を行ったり、被害者の無事を祈るような態度を示した場合には、「結果を望んでいなかった」と評価されることもあります。つまり、未必の故意の判断は、行為当時の心理だけでなく、その前後の一連の行動を通して総合的に行われるのです。
未必の故意と過失の違い
未必の故意とは「結果が起こるかもしれない」と予想をしていながらその行為に至った場合に成立します。一方で、過失は「結果が起こるかもしれない」と予想せずにその行為にいたり、結果として発生させた場合に成立します。
たとえば、「急いでいて信号を無視して人を轢いた」というケースがあったとしましょう。この場合、人が横断歩道を渡ろうとしていることを認識していながら、「轢いても構わない」と認識していたかどうかが未必の故意と過失の大きな違いになります。
次に、未必の故意と過失の違いについて詳しく解説しますので、ぜひ参考にして下さい。
結果発生に対する「心理的態度」の違い
未必の故意と過失の最大の違いは、「結果をどのように心の中で受け止めていたか」という心理的態度にあります。未必の故意とは、「結果が起こるかもしれない」と認識しながらも、「それでも構わない」と考えて行為する状態を指します。
つまり、結果発生をある程度容認している点が特徴です。一方で過失は、「結果が起こるとは思っていなかったが、注意すれば防げた」という状態です。結果の発生を望まず、容認もしていないため、行為者の心の中に「結果が起こるかもしれない」という確定的な認識はありません。
予見可能性と容認の有無の比較
未必の故意と過失を区別するうえで重要なのが、「予見可能性」と「容認」の有無です。過失では、結果の発生を予見できたにもかかわらず、注意義務を怠ったことが問題とされます。
つまり「結果を予見できたのに注意しなかった」という点が責められるのです。一方、未必の故意では、「結果が発生するかもしれない」と実際に予見しており、そのうえで「それでも構わない」と結果を容認して行動しています。したがって、どちらも予見はありますが、結果を容認したかどうかが決定的な違いです。
具体例でみる未必の故意と過失の境界
たとえば、飲酒後に自動車を運転して事故を起こしたケースを考えましょう。過失の場合酔っているが「まだ運転できる」「事故は起きないだろう」と考えて運転した結果、事故を起こした。という場合に成立します。
未必の故意の場合「この状態で運転したら事故を起こすかもしれないが、仕方ない」と思いながら運転した。両者の違いは、「事故の可能性をどのように受け止めたか」です。前者は軽視、後者は容認と表現できます。このように、表面的には似た行為でも、内心の心理状態の違いによって、故意犯か過失犯かが大きく分かれるのです。
裁判所が区別するときの判断基準
裁判所が未必の故意と過失を区別する際には、行為者の供述だけでなく、行為の危険性・行動態度・行為前後の言動など、客観的事情を総合的に判断します。たとえば、行為前に「危ないかもしれないけどやってしまえ」と発言していた場合や、結果発生後に冷静に振る舞っていた場合は、「結果を容認していた」と判断されます。
一方で、行為後に強い後悔を示したり、事故直後に救助行動をとったりした場合は、過失と判断される可能性が高まります。このように、裁判では内心の容認を直接証明することはできないため、周囲の行動や発言から推測される「心理状態の痕跡」が極めて重要となるのです。
確定的故意との違い
確定的故意とは「結果を望んで行った場合」であると考えればわかりやすいでしょう。たとえば、「包丁で人を刺した」という場合、「この人を殺そう」と思っていた場合は殺人罪や殺人未遂罪が成立します。この場合は、確定的故意であると言えます。
一方で、未必の故意は「この人を刺せば死んでしまうかもしれない。」と思いながら「それでも構わない」と思って指す行為です。この場合も、未必の故意が成立するため、殺人罪や殺人未遂罪が成立します。
次に、確定的故意と未必の故意の違いについても詳しく解説します。
故意の強さ・確信度の違い
未必の故意と確定的故意の違いは、行為者が結果発生をどの程度確信していたか、つまり「故意の強さ」や「確信度」にあります。確定的故意とは、「結果が必ず起こる」と確信している状態であり、行為者の内心では結果の発生を強く意識しています。
たとえば、「この距離で刃物を振れば確実に相手は死ぬ」と分かっていながら行為した場合が典型です。一方、未必の故意では、「結果が起こるかもしれない」と認識しながらも、「それでも構わない」と考えて行っています。
つまり、確信まではないが、発生の可能性を容認しているという点がポイントです。いずれも「結果を認識・容認」している点では共通しますが、確定的故意のほうが「確信に近い」、より強い意思を持っているといえます。
確定的故意と未必の故意の中間的な事例
実務上は、「確定的故意と未必の故意のどちらなのか判断が難しい」中間的なケースも少なくありません。たとえば、激しい暴行の結果、被害者が死亡した場合、以下のようになります。
- 「殺すつもりで殴った」→確定的故意による殺人罪
- 「死ぬかもしれないが構わないと思った」→未必の故意による殺人罪
- 「死ぬとは思わなかったが、強く殴りすぎた」→傷害致死罪
上記のとおり、加害者の心理状態の微妙な差によって罪名や刑罰が変わります。
とくに、傷害や傷害致死事件では、被告人が「殺すつもりはなかった」と主張するケースが多く、裁判所は客観的証拠からその心理状態を推測します。たとえば、暴行の程度、凶器の使用、攻撃部位、行為後の対応などから、結果を確信していたか、それとも容認にとどまるかを慎重に判断しています。
未必の故意と殺意の関係
未必の故意も殺意も結果を認識していながら行為に及んでいるため、いずれの場合も「故意があった」と見なされます。つまり、未必の故意と殺意の違いによる罪状の違いはありません。
ただし、量刑判断にはある程度の影響を与える可能性があるでしょう。たとえば「強い殺意があった」という場合と、「死んでも構わないと思っていたが、実際は少し痛めつけてやろうととしか思っていなかった」というケースがあるためです。
次に、未必の故意と殺意の関係についても詳しく解説します。
殺意の有無をどう判断するか
刑事事件において「殺意の有無」は、殺人罪か傷害致死罪かを分ける重要なポイントです。ここで問題となるのが、「未必の故意」に基づく殺意の認定です。未必の故意とは、結果(人の死亡)が発生するかもしれないと認識しながらも、それを容認して行為した状態を指します。
つまり、「相手が死ぬかもしれないと思ったが、それでも構わない」と考えて行為した場合、明確な殺意がなくても殺人罪として処罰される可能性があるのです。裁判所は、行為者が「結果の発生をどの程度予見・容認していたか」を、客観的事情から総合的に判断します。たとえば、凶器の種類、攻撃部位、行為の強度、犯行後の言動などが重視されます。
たとえば、「殺してやる」と言って人の胸を強く刺した場合は、明確な殺意があったと認識されやすいでしょう。一方で、「死ぬかもしれない」と認識していながら、相手の足を刺した場合は、殺意があったとは認められにくいでしょう。
「殺すつもりはなかった」という供述と故意の成立
多くの被告人は、殺人事件で「殺すつもりはなかった」と主張します。しかし、刑事裁判ではこの供述だけで「殺意がなかった」とは判断されません。なぜなら、刑法上の故意は主観的な供述だけでなく、客観的証拠や行為態様から推定されるためです。
たとえば、「頭部をハンマーで複数回強打した」「刃物で胸を狙って刺した」といった行為があったとしましょう。この場合、死亡の結果を強く予見していたと判断される可能性が高く、「未必の故意による殺意」が認められる可能性が高いです。
逆に、「もみ合いの末に転倒させた」「軽く殴った程度」といったケースでは、過失や傷害致死にとどまる場合もあります。このように、「殺すつもりはなかった」=殺意なしとは限らず、未必の故意として殺意が認定されることがある点に注意が必要です。
未必の故意による殺人罪成立の可能性
刑法199条の殺人罪は、「人を殺した者は死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する」と定めています。ここでいう「殺した者」には、未必の故意によって殺した場合も含まれます。
つまり、明確な「確定的殺意」がなくても、「死ぬかもしれないが構わない」という認識のもとに危険な行為を行い、結果的に相手が死亡した場合には、未必の故意による殺人罪が成立する可能性があります。
たとえば、以下のケースです。
- 被害者の頭部を強く殴打し続けた
- 刃物を振り回して相手に向けた
- 火をつけた場所に人がいることを認識していた
上記の場合には、死亡の可能性を認識していながら行動しているため、未必の故意による殺人罪が成立し得ます。
殺人罪と傷害致死罪の分かれ目
殺人罪と傷害致死罪の分かれ目は、「未必の故意」による殺意の有無にあります。殺人罪は、相手を死亡させることを認識・容認(未必の故意)していた場合に成立します。一方、傷害致死罪(刑法205条)は、あくまで「傷害の意思」で行為した結果、たまたま死亡に至った場合に成立します。
たとえば、以下のように分けられます。
- 相手を脅かすために軽く殴った→死亡→傷害致死罪
- 相手を強く殴り「死ぬかもしれない」と思いながら行為→死亡→殺人罪(未必の故意)
裁判所は、被告人の供述だけでなく、暴行の態様・使用凶器・攻撃部位・行為回数・行為後の態度などの外形的事実から、「死亡を容認していたか否か」を慎重に判断します。
未必の故意が認定されやすい行為・状況
本記事で解説しているとおり、未必の故意は「結果の予見」と「結果の容認」によって成立します。たとえば、「人を刺した」という場合でも、刺した場所や角度、刺した深さなどを総合的に判断して殺意(故意)の有無を判断することになります。
次に、未必の故意が認定されやすい行為や状況について詳しく解説します。
危険な行為を繰り返した場合
裁判所が未必の故意を認めやすい典型的なケースのひとつが、危険な行為を繰り返している場合です。たとえば、被害者に対して何度も強い暴行を加えた、刃物を複数回振り下ろしたといった場合です。この場合は、行為者が「いつか重大な結果が起こるかもしれない」と認識していた可能性が高いと判断されやすくなります。
とくに、攻撃の回数や継続時間、凶器の使用状況は、故意の有無を判断する上で重要な要素です。単発的・偶発的な行為であれば過失と評価される可能性もありますが、同様の危険行為を繰り返している場合には、「結果発生を容認していた(未必の故意)」とみなされるでしょう。
被害者の危険を理解していたケース
もう一つの重要な要素は、被害者の危険性を認識していたかどうかです。たとえば、被害者がすでに意識を失っているにも関わらず暴行を続けた場合、行為者は「このままでは死ぬかもしれない」と認識していたと推定されます。
また、被害者が高齢者や子どもであるなど、明らかに身体的に弱い立場にあったことを理解していた場合にも、その危険性を容認したと判断されやすくなります。こうした事案では、行為者の心理的態度として「死んでも構わない」という容認の意思が推定され、未必の故意が成立しやすいとされています。
結果発生後の発言・行動から推認される場合
裁判所は、事件後の行動や発言からも未必の故意の有無を判断します。たとえば、被害者が倒れた後に救助せず放置した、死体を隠した、あるいは「どうせ死んでも仕方ない」といった発言をした場合、行為者が結果の発生を容認していたと推認される可能性があるでしょう。
逆に、直後に救急車を呼んだり、応急処置をしたりするなど、結果の回避に向けた行動が見られる場合には、故意ではなく過失と判断される可能性が高まります。このように、行為後の対応や態度も故意認定の重要な判断材料です。
裁判所が「容認していた」と認定する典型パターン
過去の判例を通じてみると、裁判所が未必の故意を認定する典型パターンには次のようなものがあります。
- 人体の急所(頭部・胸部・腹部など)を狙って攻撃した
- 危険性の高い凶器(刃物・バット・鈍器など)を使用した
- 被害者が死亡する可能性を認識しながら暴行を継続した
- 被害者が苦しむ様子を見ても行為をやめなかった
これらの事情が複数認められる場合、裁判所は「被告人は結果の発生を予見し、容認していた」として未必の故意を肯定する傾向にあります。つまり、行為者の主観的な「殺すつもりはなかった」という供述よりも、客観的な行為態様が重視されるのです。
未必の故意が認定されないケース
未必の故意が認定されない主なケースは以下のとおりです。
- 単なる予見可能性では足りない
- 不注意・不作為が中心
- 危険を理解していなかった
次に、未必の故意が認定されない主なケースについて詳しく解説します。
単なる予見可能性では足りない場合
未必の故意が成立するためには、「結果が発生するかもしれない」と認識しながらも行為をしたことが必要です。しかし、単に「そうなる可能性があった」と予見できたにすぎない場合には、未必の故意は認定されません。
たとえば、運転中に「人が飛び出してくるかもしれない」と一般的に考えられる状況で事故を起こしたとしても、それは通常の予見可能性の範囲にすぎず、「死んでも構わない」とまで容認していたとはいえません。
このようなケースでは、未必の故意ではなく過失として処理されるのが一般的です。裁判所は、行為者が「結果の発生を現実的に容認していたか」を厳密に検討するため、単なる注意不足や想定の甘さだけでは、故意の認定には至らない傾向にあります。
不注意・不作為が中心のケース
行為者が積極的に危険を引き起こしたのではなく、不注意や怠慢、不作為が原因で結果が生じた場合も、未必の故意が認定されにくい傾向があります。たとえば、危険を十分に認識せずに医療行為を行った、安全確認を怠って設備を稼働させた、飲酒後に漫然と運転した、といったケースです。
上記の場合「結果を予見できたが、それを容認していた」とまではいえないことが多いのです。このような場合、刑法上は過失犯として扱われることが一般的です。とくに、被告人が結果を避けようと努力した、あるいは事故後に救助行動を取ったなどの事情があれば、故意は否定されやすくなります。
危険を理解していなかったケース
未必の故意が否定されるもう一つの典型例が、行為者が危険を十分に理解していなかったケースです。たとえば、特定の薬物を投与しても命に関わる危険があることを知らなかった場合や、軽い暴行のつもりで致命傷を与えてしまった場合などが該当します。
このようなケースでは、「結果発生の可能性を具体的に認識していなかった」として、未必の故意は成立しないと判断されることがあります。裁判所は、行為者の知識・経験・状況認識の程度を総合的に考慮して判断します。
そのため、一般人には危険とわかる行為でも、行為者の立場から見て予見が困難であれば、未必の故意を否定する余地が生まれます。
未必の故意に関する捜査と弁護活動
未必の故意が成立するためには、その行為による結果を容認していた事実を証明しなければいけません。警察や検察等の捜査機関は、さまざまな方法で立証を目指します。一方で、弁護人は、未必の故意ではなく過失であったことを主張していくことになるでしょう。
次に、未必の故意に関する捜査と弁護活動について詳しく解説します。
警察・検察が故意を立証する方法
未必の故意を立証する際、警察や検察は「被告人が結果を予見していたか」「その結果を容認していたか」という内心の動きを、外部の証拠から推認します。たとえば、事件前後の言動、防犯カメラ映像、SNS投稿、通話履歴、さらには被害者との関係性などが重視されます。
とくに「危険を認識していながら行為を続けた」「制止されてもやめなかった」などの行動は、容認の意思を示すものとして評価されやすいです。また、事件直後の発言や逃走行動、証拠隠滅なども「自分の行為が危険だったと理解していた証拠」とされる場合があります。こうした証拠を積み重ねて、「未必の故意があった」と検察が主張するのが一般的です。
取調べでの供述・供述調書の扱い
未必の故意が問題となる事件では、取調べにおける供述内容が重要です。「殺すつもりはなかった」「ただ殴っただけ」などの発言ひとつで、故意の有無が左右されることもあります。
しかし、取調べの場では強い心理的圧力がかかり、誘導的な質問により本意ではない内容を調書にまとめられるケースもあります。供述調書は法廷で証拠として用いられる可能性があるため、安易に署名・押印することは避けるべきです。
不利な調書が作成されると、後の弁護活動が極めて難しくなるため、早期に弁護人へ相談することが重要です。
弁護側の主張・立証のポイント
未必の故意が争点となる刑事事件では、弁護人は主に「被告人に結果の容認意思がなかった」ことを中心に主張・立証します。
弁護側が重視するポイントは以下のとおりです。
- 被告人は結果発生を具体的に予見していなかった
- 結果を回避するために一定の行動(救助・制止など)を取っていた
- 行為後に反省や謝罪の意思を示していた
- 結果が偶発的または想定外であった
これらの事情を証拠や供述で丁寧に立証することで、裁判所に「過失であって故意ではない」と判断させることが可能になります。とくに、被告人の行為態様や事件後の対応は故意認定の分岐点になるため、弁護士の戦略的な主張が極めて重要です。
供述内容と客観的証拠の整合性の重要性
裁判所が重視するのは、「供述」と「客観的証拠」の整合性です。どれほど被告人が「そんなつもりはなかった」と供述しても、行動や状況証拠と食い違っていれば、信憑性が低いと判断されてしまいます。
逆に、供述内容と客観的証拠が一致していれば、未必の故意の認定を回避できる可能性が高まります。そのため、弁護士は警察・検察の証拠を精査し、矛盾点を的確に突く弁護活動を行う必要があります。
弁護士との早期相談により、適切な供述方針や証拠対応を取ることが、未必の故意を否定するうえで非常に重要です。
よくある質問(FAQ)
未必の故意に関するよくある質問を紹介します。
Q.未必の故意があると殺人罪になりますか?
A.殺人罪が成立します。
殺人罪が成立するためには、故意(殺意)がなければいけません。故意とは「この人を殺そう」とする意思です。未必の故意は明確に「この人を殺そう」と考えているわけではないものの、「死んでも構わない」と思って行為に及んでいます。そのため、殺人罪が成立します。
もし、故意が認められなければ傷害致死罪が成立するでしょう。たとえば「胸を刺した」という場合でも、故意がなければ殺人罪は成立しません。
Q.「死ぬかもしれない」と思っていただけでも成立しますか?
A.容認していた場合は成立します。
たとえば、成人している人が小さい子どもを殴った場合、「死んでしまうかもしれない」と認識できます。この認識があったにも関わらず、行為に及んだ場合は未必の故意が成立する可能性が高いでしょう。
Q.未必の故意と過失の違いはどう判断されますか?
A.結果を容認していたかどうかで判断されます。
本記事で解説しているとおり、未必の故意は「結果の予見」と「そうなっても構わない」という審理によって成立します。一方で、過失は結果を予見していなかった場合に成立します。
たとえば、「人の胸を刺した」というケースでも、「死ぬかもしれない」と思っていた場合と「死ぬとは思っていなかったが、結果として死なせてしまった」では異なります。前者は未必の故意、後者は過失となります。
Q.弁護士は未必の故意をどう争うのですか?
A.結果を予見していなかった旨を主張していくことになるでしょう。
未必の故意は「結果の予見」と「それでも構わない」と考えていた意思によって成立します。このいずれもなかった旨を主張していくことになります。ただし、検察側も未必の故意があった旨を主張してくるでしょう。論点を整理し、ひとつひとつ弁護していくことになります。
Q.未必の故意が認定されると刑は重くなりますか?
A.罪は重くなります。
未必の故意が成立することによって、成立する犯罪が異なります。たとえば、殺人罪と過失致死罪を例に見ると、前者の法定刑は「死刑または無期もしくは5年以上の拘禁刑」です。一方で、傷害致死の場合は「3年以上の拘禁刑」です。
つまり、未必の故意があったかどうかによって、成立する犯罪や刑罰が異なります。
まとめ
「未必の故意」とは、「結果が起こるかもしれない」と予見しつつ、「それでも構わない」と容認して行動した場合に成立する故意をいいます。過失との最大の違いは、「結果発生を心の中で容認していたかどうか」です。注意すれば避けられたにもかかわらず、「起きても仕方ない」と考えて行為を続けた場合、刑法上はうっかりではなく故意として扱われます。
未必の故意は、殺人事件や交通事故、放火、薬物事件など、さまざまな場面で問題となります。裁判所は、被告人の供述だけでなく、行為の態様、凶器の種類、攻撃部位、行為後の態度などから、心理状態を総合的に判断します。そのため、「殺すつもりはなかった」という言葉だけでは、殺意がなかったとは認められません。
また、未必の故意は「確定的故意」と同様に故意犯として処罰されます。量刑面では差がつくこともありますが、法律上はどちらも「故意による犯罪」として扱われる点に注意が必要です。
刑事事件では、被告人の“心の中”をどこまで法的に認定できるかが極めて重要です。未必の故意の理解は、故意と過失の境界を知るうえで欠かせないテーマであり、刑法の根幹に関わる重要な概念といえるでしょう。